1万人のデータからは、統計処理(といっても最近流行りの高度・サイエンティフィックなものではなく、簡便な手法)をすることで、1人1人に向き合っている人が認識していなかったことを定量的に示すことができる。
以前、生殖医療に関するレポートを書いた(レポートはこちらからどうぞ→ http://www.meditur.jp/our-reports/)。そのレポートでは、アメリカのクリニック別データ公開の例などから「データから見えてくることには価値があり、その価値を高めることが生殖医療自体をより実りあるものにさせるだろう」と述べた。もちろん、その主張は今でも変わらず重要なことなのだが、様々な人から話を聞いたり、本を読んだりする中で、統計データが持つ「乱暴さ」を再認識した。
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不妊治療に限らず医療は確率論的に話のできることがある一方で、ひとりひとりにはそれぞれの事情・ドラマがある。データ分析に感情を挟み込み、恣意的な結果を導き出してはいけないが、個々の背景を知ろう・理解しようと努力しつつ統計的な結果を出すように努力したいものだ。