週末、親族が他界したため、東京と岩手を二往復した。
大往生。ひ孫が7人も集まった。
終末期の医療は、費用が掛かり過ぎることに対し、問題視がなされている。過剰な医療を抑制すべき、という批判に対し、医療機関とて収入になるので必要な医療は提供する。そして、「個人個人の意志を尊重する」という壁がオープンな議論を難しくしている。
義祖父は生前から延命措置を拒否していた。病院で最期を迎えた。
50年前だったら自宅だったのかもしれない。今は病院の割合が高いことはご存知のとおりだと思う。今、日本は病院から在宅へという流れを進めている。この流れを理解するには、「最期」の場所が変わることを考えなければならない。
高齢者の最期については、下記の論文が非常に興味深い。
死亡前12か月の高齢者の医療と介護(www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19613909.pdf)
経済性の観点から、医療と介護がどうあるべきか。このような議論には、一般市民も巻き込むべきだ。以前、『地域包括ケア』という言葉の認知度についてインターネット調査をしたことがある。認知度は3割に見たなかった(弊社調査結果、30歳以上を対象にインターネット上で調査)。まだまだ一般市民は最期の医療・介護のあり方について、受け身なのだろう。
今後、大きな医療・介護のデザインを変えていくには、一般市民の受け身姿勢も変えなければならないだろう。
余談だが、今朝の日経新聞。イギリスの医療について話が載っている。『レモネード処方』 初めて知った。これからの日本、こういった議論も必要だろう。