2013/05/07

コンピュータが医療を創る・・・ためには、すべきことがある

以前、ブログでIBMが描くコンピュータによる医療の話を書いた(記事はこちら)。
以前のブログで紹介した論文検索結果イメージ(弊社作成イメージ)
今日・明日で医師の診断がコンピュータに置き換わることはないだろう。

ただ、情報が資源になり得る・・・という話も以前に書いた。(その記事はこちら
どのようにして情報を蓄積していくか。どのような目的で蓄積するか。この構想を大きな規模でかつ高いレベルで考えられる人材は非常に貴重な存在になるように思う。

これは有名な話だが、googleが買収したreCAPTCHAというサービスがある。下の画面のようなログインなり、入力画面を見た記憶が少なからずあるのではないだろうか。

reCAPTCHA説明サイト(http://www.google.com/recaptcha)より

これ、わざわざ文字を読みづらくしてあって、スパム防止などの目的で自動入力させないような仕組みであることも事実なのだが、実はOCR(文字認識)で失敗した文字を表示させ、人間に正しい文字を入力させて、OCRの精度を上げさせる仕組みになっているらしいのだ。(様々なところで紹介されていると思うが、ぱっと検索で見つけた中では、ここhttp://labs.cybozu.co.jp/blog/akky/archives/2007/05/recaptcha-human-group-ocr.html)の説明がわかり易かった)

■現在のDPC制度に足りない点


日本ではDPC/PDPS制度(入院医療費の包括払い制度)によって、急性期の入院治療データがかなり集められるようになってきている。これは疾患の統計的な情報として、これまで無かったものであり、様々な研究、医療制度の改善・改革に利用されている。


現在の制度、診療報酬制度を定期的に改善していく上では非常に良くできた設計である。しかし、この制度を「コンピュータが医療を創る」ための情報収集手段と考えた時、実は大きなミスがある。診療行為の記録は収集できているものの、なぜそのような医療行為を行ったか、なぜそのような病名が付いたのか、なぜそのような転帰になったのか、「なぜ?」を答えてくれる情報はほとんどない。医師は様々な情報を用いて、診断し、治療判断を行う。疑わしき状況を判断し、検査指示を出す。その検査を待っている間にも刻々と状況が変わったりする。その判断の結果が「医療行為」である。

「コンピュータが医療を創る」観点では、医師の行為情報だけでなく、判断材料が必要なのだ。ありとあらゆる検査結果、画像情報が必要なのだ。


■検査結果、画像情報など「判断材料」が未来を創る

仮に、検査結果と画像情報がすべて揃っていたら、どのような未来が待っているだろうか。

①医療行為選択の大規模研究

肺炎入院した患者のうち、血液検査の結果(一例としてCRP)によって、抗生剤の選択にばらつきがあり、予後が違っているという関連性が得られたとする。このような積み重ねは、これまで治験や研究者の努力によって成し遂げられてきた部分だが、自動的にデータが蓄積され、結果が生み出されてくる可能性を秘めている。

②検査結果から病名の推測

おそらく、現在集められているDPCデータを用いると、比較的いい精度で一連の医療行為から病名を推測できるに違いない。ここに検査結果、画像情報があったならば、それらから病名を推測できるようになるかもしれない。医師の診断をサポートするような巨大な予測変換辞書ができる可能性を秘めている。今現在、医師の日々の診断はせっせと辞書作りに貢献しているのだ(まさにreCAPTCHAと同じこと)。


この2点、当たり前のような話かもしれないが、飛躍的に可能性を高める策が残されている。それは遺伝子情報だ。がん治療などでもオーダーメイド治療、分子標的薬治療などといった話を聞く機会が身近なものになっているが、人によって薬が効く・効かないは遺伝子的なレベルで決まってしまうこともある。上述の①と②に、遺伝子情報が加わることで、情報の量は莫大になってしまい、小手先では判断できないレベルになるに違いない。ここは機械的な威力を活用すべきところだろう。現在の医療を未来に役立たせるためにも、そして、情報を資源化するためにも、国を挙げて方針を定めるべきタイミングなのではないだろうか。(遺伝子情報は非常にセンシティブであるがゆえに、乱暴な議論や方針決定は避けなければならないが)

少なくとも、日本の医療情報(レセプト情報やDPCデータ)は宝の持ち腐れ状態で、その利活用の議論をゆっくりしているような場合ではない。そして、DPC制度。医療費を効率的にしなければといって、検査を削ったり画像を減らしたりする努力をしているが、「情報を資源化する」ためには、あまり役立たないことをしている。無駄な検査をバンバンすることが意義あることだとは言わないが、議論の余地が多いことは間違いない。(資源化のために追加コストをかける価値があると思う)

患者の状況、医師・医療者の行動・行為がすべて「資源」となる。これがコンピュータが医療を創る時代なのではないだろうか。