この病院の緩和ケアは、疼痛緩和をメインにした治療のための病棟なのか、それともターミナルのホスピス的なケアを期待できる病棟なのか、はたまた両方を兼ね備えたものなのか、と。
この本において、緩和ケアという言葉が、「症状緩和医療」と「緩和ケア」という2つの意味が含まれているとの説明を聞いて、非常にしっくり来た。
緩和ケアというものは、医者だけが行う治療行為のことを指すのではなく、その症状緩和医療も含め、看護、介護、福祉、ボランティアや宗教者に支えられて実現するものである、と。
「症状緩和医療」は、これはこれで、ようやく社会的認知度が高まってきており、ますます充実することが望まれる。これは急性期のみならず、多くの医療施設で、いかなる段階においても、そして、疾患もがんに限定することなく、取り組みが広がって欲しい。
そして「緩和ケア」は、病棟のみならず、在宅も含め、社会が、いかに取り組むか、チーム医療というひとつの言葉をとっても、チームのメンバーが、この本質的な緩和の概念を理解していなかったら、ただの症状緩和医療チームになってしまうかもしれない、といった指摘は、非常にわかり易かった。
国が各都道府県に1ヶ所、緩和ケアの拠点を作るらしい、というニュース(2012/9/27 日経メディカル がん診療連携拠点病院に緩和ケアセンターを整備)を聞いた。このとき、しっくりこなかった理由は、緩和ケアの概念が、症状緩和医療を指しているのか、包括的な緩和ケアを指しているのか、さっぱりわからなかったからだ。もし包括的なものを作ろうとするのであれば、それは「拠点」という形が適切なのか?という疑問が大きく湧いた。長年ホスピスケアに取り組んでいる施設や、在宅診療を行なっている人は無視するのか?と。
国の制度は、自分の手が届かないところで決まってしまうことも多々ある(というかほとんどは自分の意向と無関係)。今後、医療費の増大が問題になる・・・という話が、度々出てくるはずだ。そのとき、一市民がどうしたら良いか考えるには、「どういう医療を受けたいか」も大事だが、「どう死にたいか」というメッセージを発することも大事なのではないかと感じた。
病院で死ぬのはもったいない: 〈いのち〉を受けとめる新しい町へ 山崎 章郎 二ノ坂 保喜 米沢 慧 |